時の流れを意識し100%コミットする

このブログも、もしかしたら終盤にさしかかってきているのかもしれません。

 

最近よく考えることは、

「色々なことに100%集中できていない自分は自由だ」ということ。

人は覚悟を決めて、物事を遂行します。

 

正月に掲げる目標も、その時は覚悟を決めるから、続けようと思い実行します(続くかどうかはわかりませんが)

 

何かを決めることができるのって、“とても自由”です。

 

世の中には、決めることができない人がたくさんいます。

“ひきこもりで、うつで、自閉症で”みたいなものではなく、本当に生まれた時から、運命が決まっているような人も、世の中にはたくさんいると思います。

とはいっても、大きな決めごとの範囲内で、毎日決断し、行動していくと思うのですが、私を含め、この記事を読んでいる人は少なくともかなり自由だと思います。

「なんでもできるがゆえに、なにもできなくなる」という矛盾が生じて、混乱してしまい道を失います。

 

何年迷子を続ければいいのか?

 

おそらく、一生でしょう。

ここまで生きてきて、まだ100%コミットできずに、生き方を考え、悩み、迷っているのは、私だけではないはずです。

若いころは、そんな悩みが楽しい時期もありましたが、歳を重ねるにつれ、人生の迷いは、ずっと続くのだろうと感じています。

もしかしたら、もっと歳をかさねれば、考え方が変わるかもしれません。

 

わかりません。

 

でもきっと、いつまでたっても何かに迷っている自分がいる気がします。

だから、答えの出ないような迷いに、時間を費やすのも、考えるのも、悩むのも無駄だと思うかもしれませんが、たぶんそれが“人の本質”なんだと思います。

  

「お金を持てば幸せか?」

幸せでしょう。だから働いて誰かのために尽くすのです。

 

「時間があれば自由か?」

もちろん自由でしょう。でも何も目的もやることもない時間で、ただ生きているだけあれば必要ありません。

 

「健康であれば満足か?」

健康なことはとても重要なポイントですが、健康じゃなくても、短命の病気の人でも、誰よりも輝いて見えることはあります。

私は、お金も時間も満足にあるとは言い切れません。だから、お金も時間もたくさんほしいです。

今は健康だと思いますが、ずっと健康でいたいとは思っています。

 

今欲しいものすべて、もし手に入れられたら、あなたはどうするでしょうか?

多くの人は、「家を買う」「世界一周」とか誰もが言うようなことを実現したいと思うかもしれません。

別に否定はしません。

 

「貧困をなくすために、貧しい国に学校を建てる」などもいいですが、それは世界をよくするためと、自分の欲求を満たすため。

ただそれだけです。

 

個人的な【欲望】も、世界を平和にしたいと思う【貢献】も、差はあるかもしれませんし、世間体ではだいぶ違うかもしれませんが、

「世のため人のため」とは言っても、結局自分の感情で動いているにすぎません。

これが人間です。

「どうすればいいのか?」の答えもありません。ただただ、死ぬまで迷い続ける。

どれだけ成功しても、地位や権力、お金も名声も、人間関係も健康もすべてがパーフェクトだったとしても、たぶん何かに迷っているでしょう。

生きている限りその迷いは続くでしょう。そして死ぬ間際になっても、実際は何かに迷いながら死ぬことでしょう。

でも周りに希望を与えたくて、「最高の人生だった」などと言うかもしれません。

 

ノーベル平和賞を受賞したマザーテレサもこんな言葉を残しています。

「私は、光も喜びも勇気も何も得ていないのです。内面はすべて闇で、神から完全に切り離されているという感覚です」

 

そのときすでに75歳です。 

こんな話をすると、絶望を感じるかもしれませんが、これが事実であり、人間です。

 

この話を否定する人も、肯定する人も、批判する人も、納得いかない人もいるでしょう。

でもすべてはあなた自身が決めていること。別に「だれが」というのはありません。

 

世の中のすべての出来事の意味は、あなたが決めればいいだけです。

それについて、だれでも何も言う権利はあっても、心の中まで侵す権利は無いですし、あなた自身気に思うことも一切ありません。

だから、自由なあなたは自由に生きればいいです。

 

最後に、

大きい世界でも、小さい世界でも、自分の中での楽しさ・幸せ・希望を少しでも見つけられれば、今日も生きていくことができると思います。

 

<追伸>

別に私自身切羽詰まっているわけではないですが、たまにはこういうのもいいかなと思って書いてみました。