前回の続きです。
アメリカ・ロサンゼルス生活の心得 ~LA飲食店立ち上げ記録~
3月中頃にアメリカのLA(ロサンゼルス)に着きまして、飲食店立ち上げの準備をします。
アメリカを何も知らないのに飲食店を始める
ビジネス立ち上げメンバーは3-4人いたのですが、全員アメリカ初心者。
みんな住んだこともないので、勝手がわかりません。
私にいたっては、アメリカなんて一生くることもないし、正直興味もなかったので、最初ロサンゼルスと聞いて
「え、LAってどこ?ニューヨークから近いっけ?」
という質問するくらいアメリカのことを知りませんでした。*はい、常識なしです(汗)
さらには、日本に一時帰国した時に、ロサンゼルスに行くことを友人に話したところ、
「おーすごい!大谷翔平みれるね」
とか言われて、
「え、大谷翔平ってだれ?芸人?」
って聞くくらい、世間を知りませんでした。アメリカを知らないというか、そもそも野球に興味がないのと、オーストラリアに長くいたので、そのような情報も耳に入れていなかったのでとても驚かれました。*私は基本の日本のニュースもほとんど見ません。
アメリカに来て真っ先にやることは?
さて、、、これまで本当に忙しかったのですが、
ビジネスとして、長期滞在する前提でアメリカに来る場合、すぐにやらなければならないことがいくつかあります。
それをお伝えします。
携帯電話をすぐ契約し、Social Security Numberを手に入れる
まず一番の優先順位(ミッション)はSSN(ソーシャルセキュリティーナンバー)をゲットすることです。
SSNとはオーストラリアでいうTFN(タックスファイルナンバー)、日本でいう納税者番号(マイナンバー)です。税金の支払いに必要な個人が持っている番号のことです。
ここで注意しなければならないことがあります。
私は最初、オーストラリアのスマホを持ってきていたので、アメリカでローミングしたスマホで役所に電話するのですが全然つながらない。
何度試してもつながらないのです。このような出来事は2月にアメリカ視察に来た時に感じた違和感でもありました。
ですので日本でアイフォンを買っていき、そしてアメリカに来てすぐに携帯電話の契約をしました。
ですので、第一にやることは、新しい携帯を買ってすぐに契約することです。
安く済まそうと思って、現地で変に中古や古い機種の携帯電話を使うと、あとあと問題が起こって、面倒なことになります。
アメリカの電話番号をゲットしてわかったことは、
海外の携帯電話からは、役所に電話をかけてもつながらないケースがある。
ということ。
オーストラリアの携帯からも、最初は自動音声通話で繋がるのですが、一向に予約までたどり着かない。
しかし、アメリカの携帯からならすんなり繋がり次のステップに進める、という状況でした。しかし、アメリカの携帯からでも自動音声対応でメチャクチャ待ちます。
コロナというのもあり、私の時期は特に予約が取りづらく、役所が開く前から電話をかけていたのですが、そもそも電話がつながらなかったり、繋がっても途中で切れる。
なんとか1時間も2時間もかけて役所の人と話せると思ったら「アメリカ到着して2週間はSSNは申請できない」と門前払い。
そして2週間後に電話をかけると、
「あなたはどこに住んでいるの?こちらの役所はあなたの区域の担当じゃないから他の地域の役所に電話して」と言われ、プツっと電話が切れる。また1からやり直しです。。
そんなことを最初の2-3週間は毎日のように繰り返していました。
そもそも勝手がわからないし、現地の人でも知っている人がいない。だから聞くこともできないので全てが手探りです。
次に住む場所探し
携帯電話、そしてSSNを申請する準備をしながら住まいを見つけなければなりません。
しかし、家をどうやって探すのか?
ネットで調べたり、数少ない現地の知り合いに聞いたりして探しますが、全然良さそうな場所が見つからないし、そもそも土地勘がないので「この場所で本当に大丈夫か?」という疑問が毎回浮かびます。
*場所によっては浮浪者やギャングばかりなど、本当に危険な場所がいっぱいあります。
たらいまわしの1か月
LAに到着してから私は、長期で住める場所を探しながら、格安ホテルを回っていました。最初はホテルで2泊3日で予約していて、その間にどこか見つかるだろうと思っていたら全然家が見つからない。「すぐ住む場所見つかるだろう」と思っていたから焦りました。
なのでなかなか見つからないため、ホテルは住めないと、どんどんランクの低いホテル(モーテル)を転々とし、治安もいいのか悪いのかよくわからない場所でしばらく住みながらアパート探しをします。
ただ、家の契約にネックに重要になってくるのがSSNや給与明細。
そもそもSSNがなければ契約できない、またこれまでのアメリカでの給料明細やクレジットカード情報などがないと入居できないところも多く、
リアルエステート(家主)の人は、「誰か知り合いに頼めば大丈夫だよ。聞いてみなよ」と言ってくるのですが、そんな頼りになる知り合いなんていません。だから、
「あ、積んだ。もうだめ見つからない」
と思うことが多々ありました。
あるときは、唯一契約できたと思っていたアパートに、当日たくさんのスーツケースをガラガラと引きながら持って引っ越し先の場所に行くと、、、
「実はマネージャーから、やっぱり住むことできないって言われちゃったんだ。ごめん」
なんて言われて途方にくれたこともあります。その時はメチャクチャ交渉しましたが駄目でした。前金を払ってまでいたのに、直前になって無理なんてひどい話です。*さすがにこの時は前金は返してもらえました。(約$200くらい)
その日は格安ホテルも出ていったあとだったので、もう空き部屋もなく、違う安い宿屋を探しに探してようやく見つけ泊まることができました。もう少しで野宿するところでした。
そんな、たらいまわしの生活が1か月以上ありましたが、それと同時に、新しく始めるビジネス(お店)の準備もしなければなりません。
かなり焦っています。なぜなら3月後半にLAに来てましたが、お店のオープン予定は5月です。
しかも一応会社に雇われている立場なので実務で働かなければならないというのもあり、本当に寝る以外はずっと動き回っていました。
*会社があるのに、なぜそんなにすんなり物事(住まいなども含め)がうまくいかないかと疑問を持たれるかもしれませんが、色々事情(裏話)があってここでは公に話せません。
LA到着して1か月後、、、家が見つかったが新たな問題が勃発、、、
なんとかかんとか、これも多くの人の助けがあって住む場所が見つかりました。その時は心から安心したのを覚えています。しかしそんな安堵感もつかの間、
住むにあたってガスや水道・電気代とかの契約をしなければなりません。
そして、ここでも必要なのはSSN。
渡米して2週間経って、ようやくの思いで予約をこじつけ、SSN申請をしたはいいものの、そのSSNが届くのが2週間後、、、
つまり、アメリカに来てSSN取得するのに最短でも1か月以上は必要だということになります。
ちなみに銀行口座はすぐに開けられますが、SSNが無いので、新しいビジネスをするにあたっての業者さんとの契約などは一切できない状況です。
話は戻り、つまりは「ガス・水道・電気はどうするの?」ってことで、またまた電話でガス・水道・電気会社に問い合わせします。
ちなみにアメリカはインターネット上で解決できることはほとんどなく、だいたい電話で直接問い合わせすることになります。それがものすごく面倒で、
この時点でアメリカは大嫌いになっていました。
何もないアメリカ初心者が電気ガス水道の契約をする方法とは
さてSSNの無い私が、どうやってガスや水道の契約をできたかと言うと、
(これも)電話で問い合わせしたところ、「直接本社に来て、身分証明書とクレジットカード(海外の)を持ってきて最初に前払い(デポジット)をしに来てください」とのこと。もちろん日時も予約しなければなりません。
アパートに3日後に住むことが決まって、速攻問い合わせして予約したのでギリギリ契約は間に合いましたが、1日タイミングが遅れていたら、電気もなく真っ暗で、水道も出ない場所で泊まることになっていたかもしれません。
さて、そんな毎日を過ごしながらも、夜は夕方2-3時から夜中まで働き、週3でお昼も働くという生活をしながら、新しいお店の立ち上げ準備をするという、よくわからない忙しさの中で過ごしていました。
状況としては、毎日ギリギリのタイミングで物事が進み、日中は常に動き回り、周りの人が寝静まったあとにお店立ち上げの準備をする。という日々をオープンまで、そしてオープンしてからも数カ月続きます。
具体的にはどんなことをしていたのかと言うと(ざっくりと)、
- ビジネス立ち上げの書類などの準備
- お店の準備(器、人材、業者、食材、撮影、試作、シミュレーションなどなど)
- 日常生活で最低限過ごすための行動
- 普通に営業にて仕事(ほぼフルタイム)
- その他、色々な人とのやり取り(銀行・会計士とか)
- ほぼ毎日に銀行に行ったり、Fedexで書類のプリントなどする。
それにプラスして、アメリカの文化も常識も生活環境もなにもかもわからない状況で、友達もいなければ、質問する人もほぼいない。何が必要なのかすらもわからないので、何を質問すればいいのかもわからない状態です。
なので、数少ない知り合った人には、色々こと細かく質問するのですが、それ以外は想像の中でシミュレーションして予想して行動するしかありません。
本当にホントに、この忙しさが3カ月間以上ずっと毎日途切れることなく続くのですが、この長期間の怒涛の忙しさは私の人生の中でも初めてでした。(昔は1か月間くらい超忙しい時はありました)
ここで上記の行動に加わっていないものがあります。それは料理について。飲食店で一番大事な料理。その料理の試作や実際のシミュレーション、トレーニングなどが手が付けられないくらいの忙しさで、ギリギリまで頭のなかで構想していただけです。
また、もう一つ付け加えると、お店自体のカギなどの引き渡しは5月1日。そしてオープンは5月3日です(笑)
最悪なことに5月1日は日曜日。仕入れはできないし、すべての業者は休みです。
人生最悪の日を迎える
そしてようやく、これまでの経験や知識をフル活用してオープンに挑みました。
当日はというと、私の料理人人生の中でダントツで一番ひどい思い出の日になりました。
お客さんが少なくてヒマだったらよかったのですが、そんなことは全くなく超忙しく満席です。
私は、基本冷静で準備もするのでテンパることはないです。特に飲食歴20年以上となった今ではほとんど焦ることはありません。色々な修羅場もくぐってきたので大抵のことでもなんとかなるのですが、、、
その日は、自分でも何をしているのかわからないくらいグチャグチャだったと思います。
という最悪の日が初日だったので、あとは上るだけです(笑)
色々反省要因はありますが、もう終わったことなので何も言いません。はい、私がすべて悪いです。ってことにしておきます。
もちろん、今考えれば、「どうしてこうなったのか?」「何が悪かったのか?」なんてことはわかりますし、実際そもそもやる前からわかっていたことでもあります。
多くの人は私のようなハチャメチャな段取りでの行動はしないと思いますが、事情も事情だったので当時はこうするしかなかったとしか言いようがありません。
そして時は過ぎ、、、
オープンして数カ月たった今、、、だいぶ落ち着いてきましたが、いまも試行錯誤の毎日です。
ちなみに前のような怒涛の忙しさはありませんが、私は店長的立場でもあり料理長でもあるので、お店の料理全般、人材、経理(支払い・給与計算)などなども仕事の一環なので手が空くことはまずありません。
でも。その他メンバー・スタッフたちにも恵まれ、大いに手伝ってくれているのでとても助かっていますが、メインで現場にいるのは私なので、すべて把握しておかなければならないので責任重大です。
正直、私の仕事は料理1割、その他雑務が9割です。
私は仕事するためにアメリカに来ているので、今までやってきていたこと全てを止めて100%集中していました。
周りの人には「たまには息抜きに休んでください」と言われるのですが、
仕事以外にすることが無いので、唯一週一の休みでも、しばらく何もすることが思いつきませんでした。というより仕事が詰まっていたので休みも休みではなかったというのがホントのところです。
でも最近は、休みの日はなんだかんだ事務仕事なり雑務なりで仕事はしていますが、ロサンゼルスの色々な場所に行き観光がてらで歩いたりもしています。
調理器具屋巡りとか、食料品とか飲食・健康に偏った場所にいくことが多いですが、これまでハリウッドやディズニーランド(中に入らない)なども行ったりしました。
休みの日は1人で朝から歩き回っているので(車は持っていない)、1日2万歩は余裕で越えています。また週に何回かは30分程度ですが運動できる時間も確保できるようになりました。